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【夢オチ?】映画ジョーカーの最後の足跡の意味は?ラストの子供は誰?

映画『ジョーカー』のラストシーンは、観る者に強烈な印象を残します。血まみれの足跡を残し、精神病棟を駆け回るアーサーと、両親を失い路地裏に佇む幼きブルース・ウェイン。

この対比は、アーサーの狂気が生み出した悲劇と、そこから生まれる新たな物語を暗示しています。しかし、このラストシーンには多くの謎と解釈が存在します。

 

この記事では、アーサーの行動の真意、ブルース・ウェインの不在、そして続編への影響について、様々な視点から考察していきます。そして、物語全体が、アーサーの妄想オチ、夢オチだったのではないか、という考えも見ていきましょう。

注意

この記事では映画ジョーカー1作目のネタバレを含みます

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ラストシーンの血の足跡の意味

ラストシーンで、アーサーは血まみれの足跡を残しながら病院内を闊歩しています。これは、彼が精神科医を殺害した直後であることを示唆しています。彼は、ついに「ジョーカー」として覚醒し、社会への復讐を遂げたのでしょうか。

しかし、この足跡は、アーサーの精神状態が極限に達し、現実と妄想の区別がつかなくなっていることを示しているようにも見えます。映画全体を通して、アーサーは数々の妄想を抱き、現実と虚構の境界線が曖昧な状態で描かれています。

 

もしかすると、この足跡自体がアーサーの妄想の産物なのかもしれません。彼は、自らの行動が社会に大きな影響を与えたと信じ込み、その証として足跡を残したのかもしれません。

または、彼は自分の狂気を誇示し、人々を恐怖に陥れるために、あえて血の跡を残したのかもしれません。

最後の子供ブルースは…

ラストシーンに登場する幼きブルース・ウェインは、両親を殺害され、路地裏に一人取り残されています。これは、バットマン誕生のきっかけとなる悲劇的な出来事です。原作コミックや他の映画作品で度々描かれてきました。

 

『ジョーカー』では、ブルースの両親は、ジョーカーに扇動された暴徒によって殺害されます。これは、アーサーの行動が、間接的にバットマンの誕生に繋がったことを示唆しています。アーサーは、自らの狂気によって、皮肉にも正義の象徴を生み出すことになったのです。

しかし、続編『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』では、成長したブルース・ウェインは登場しないようです。代わりに、ハーレイ・クインが登場し、ジョーカーとの関係が描かれると予想されています。

 

このことから、『ジョーカー』のラストシーンは、バットマン誕生への直接的な布石というよりも、アーサーの狂気がもたらした悲劇と、その影響の大きさを強調するための演出だったと考えられます。

ブルースの不在は、続編がバットマンとの対決ではなく、ジョーカー自身の内面や人間関係に焦点を当てることを示唆しているのかもしれません。

>>ジョーカーはトーマス・ウェインの息子?アーサーは母親ペニーの養子?


すべてが妄想だったのか?

映画『ジョーカー』には、「物語全体がアーサーの妄想だった」という大胆な解釈が存在します。

この解釈を支持する要素の一つは、序盤とラストのシーンの類似性です。

映画の序盤とラストでは、アーサーは黒人女性からカウンセリングを受けています。

冒頭は福祉施設、ラストは医療施設と思われる白い部屋。それぞれ異なる場所ですが、序盤ではラストと同じ白い部屋にいるアーサーが一瞬フラッシュバックします。(上記画像の向かって左)

 

さらに、度々登場する時計が常に11時11分を指しているのも不可解です。

これは、映画全体がアーサーの妄想であり、本人は精神病院(白い部屋)に閉じ込められたまま終わることを暗示しているのかもしれません。

 

また、アーサーの重度の精神疾患も、この解釈を裏付ける要素の一つです。

彼は、現実と妄想の区別がつかない状態に陥ることがあります。映画全体を通して、彼の精神状態は悪化の一途をたどり、妄想がエスカレートしていく様子が描かれています。

 

さらに、物語の展開も、すべてが妄想である可能性を示唆しています。トーク番組への出演や、隣人ソフィーとの恋愛など、アーサーの願望が叶うように物語が展開していくのは、あまりにも都合が良すぎるようにも思えます。現実世界では、彼の境遇は改善されるどころか、悪化していく一方でした。

妄想か夢オチか?

しかし、すべてがアーサーの妄想だとすると、いくつかの疑問が残ります。

例えば、アーサーが偶然エレベーターでソフィーに遭遇したり、彼が虐待を受け、それを黙認する血の繋がりのない母親のもとで育つといった、不遇な環境を彼自身が妄想できたのでしょうか。

 

もしかすると、映画の全シーンがアーサーの妄想なのではなく、ある程度は現実に起こったことが前提にあって、それをベースにアーサーの頭の中で再構築されたのかもしれません。現実世界でソフィーのような女性が同じアパートに住んでいた可能性もあります。

 

あるいは、「すべてがアーサーの妄想」ではなく、「夢オチ」という解釈も考えられます。

ジョーカー自身が思い描いたものではなく、アーサーがジョーカーになるまでをつくった偶発的に生まれた悪夢のような夢ではないか。

最後に

映画『ジョーカー』は、観客に解釈の余地を残すことで、その魅力を増しています。すべてが妄想だったという解釈は、映画全体を覆す衝撃的な解釈ですが、同時にアーサーの孤独と狂気をより深く理解する手がかりを与えてくれます。

この映画は、見る人によって異なる解釈が生まれる多面性を持っています。だからこそ、私たちは何度もこの作品を見返し、その奥深さに触れることができるのです。

 

続編『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』では、前作で提示された謎や疑問が解き明かされるかもしれません。アーサーの過去や精神状態など、多くの謎が残されています。

前作『ジョーカー』を様々な視点から解釈し、考察を深めることで、続編をより楽しむことができるでしょう。この記事が、『ジョーカー』の謎めいた世界を理解する一助となれば幸いです。

>>映画ジョーカーはどこまで妄想?隣人ソフィーはアーサーに殺された?